仙台大学通信教育指導室メールマガジン 第91号
2024.12.19 THU
通信教育指導室から、こんにちは。
皆さんは、林竹二先生(1906-1985)のことを聞いたことがありますか。
先生は宮城教育大学の学長(1969-1975)を退いたのち、全国の小・中・高等学校を行脚し、「人間について」等のテーマで200回を越す授業を行いました。
子どもの可能性を信じ、子どもの奥底に秘められた宝物を引き出すための教育の実現に精魂を傾けた林先生のことばの数々を紹介します。
浅い授業と深い授業
私は子どもから学んで、授業に浅い授業と深い授業があると考えるようになりました。成績の優劣がきわだつものが浅い授業、それの消えるものが深い授業だと、私は勝手にきめこんでいるのです。
子どもは誰でも、自分も知らず人にも知られずにしまいこんでいるたからをもっています。子どもの中には、その能力をすぐ目につくような形でもっているものもありますが、ひどく見つけにくいふかいところにしまい込んでいるものもあります。(中略)
子どもはすべてそれぞれに固有のたからを持っているのです。それをいろいろな手段方法に訴えてさぐりあて掘り出す作業の中核が授業であり、教師は、この仕事にたいして責任を負っています。それは、何かきめられた一定の事を教えて、テストをして、それを評価して終わるような仕事ではありません。(中略)
比喩的な言いかたになりますが、授業は子どもの内の、ふかいところにしまいこまれているたからをさぐりあてたり、掘り出したりする作業で、体裁を気にしていては仕事になりません。なりふりかまわず、泥だらけになってでなければ出来ない仕事であると考えています。
教材研究とは
教材研究には二つの段階があります。
第一は、自分自身のための教材研究で、第二に実際の授業の中でどうしたらこれを子どものなかに入れることができるかを工夫する作業がある。第一次の教材研究が充分なされていて、はじめて教材の本質に即した問題の持ちこみ方ができるのです。従来の教材研究というのは、主としてこの第二の段階における教材研究です。
授業の深さをつくり出すもの、あるいは重みのある授業を可能にするものは、根本的にはやはり、与えられた教材を徹底的に自分自身のものにしてしまう第一次的教材研究の深さです。それは外にあるものを、自分の内なるものに転化する作業です。それができないと、授業ははじまらない。授業というものは自分の中から出なければ駄目なんです。
コミュニケーションとは
その事柄が先生の心の中から出てくるのでなければ、それが子どものなかに入ってコミュニケーションが成り立つということはないわけです。
教師の深いところから出たものだけが、子どもの深いところまで届くのではないかと思います。また声が、話が届くか届かないかは、声の大小で決まることでなく、また発声法の問題でもないようです。語られたことが子どもの深いところまで届くということ、これが子どもの中に一つの事件をおこす、授業が成立するための必要要件です。私には一定のことを教え込むことが、授業の一番大事な仕事だとは思えないのです。授業というものは、一つの教材を使って、何かもっと大事な仕事をすることなんです。教材は手段であり、道具なのです。それが目的になっては困るのです。道具を使って、どの子どもでも、どこか深いところにしまい込んでいる、その子のかけがえのない宝を探しまわり掘り起こす仕事をするために、教師は子どもの中にできるだけ深く入りこむ必要があります。
教師たちは何かというと、コミュニケーションと非常に簡単にいいますけれども、いくら口でしゃべって、向こうから答えが出てきても、そんなのは、コミュニケーションではありません。コミュニケーションというのは、一つの出会いが成立しなければ、成立していないのです。授業というものはやはり、人と人とが出会う、その一つの場になることなんだという気がいたします。
一年に一度 全力投球の授業を
もっとも、毎日毎日、何時間もする授業の中で、「出会い」なんていうものがやたらにありうるはずがありません。
何年かかってもいい、授業の中でいっぺん子どもとの出会いを経験することが、(中略)際限もなく骨の折れる仕事に根気よく取り組みつづけるための力と勇気とを教師に与えてくれるのではないかと思います。
一年に一回の全力投球の授業は、人に見てもらう必要はないのです。
特にベテラン教師の助言は無用です。みんなだめにするだけです。彼らは子ども不在のうまい授業の熟練工です。
授業者は、子どもだけに目を注いでいればよいのです。
生きた授業をすれば、子どもの顔が変わります。今まで見たことのない顔が見られます。
その事実しか、教師にとって本当にきく薬はないのです。そういうものが出てくれば、教師は本当に力づけられ、勇気が出てくるのです。
林竹二先生の珠玉のことばの数々、いかがでしたか。
子どもたちが優劣の別なく夢中で学ぶ ≪ 深い授業 ≫ -教師であれば誰もが到達を目指す理想的な授業の姿です。
そんな深い授業を創り出すために、教材の本質をつかみ、自分の内なるものに転化していく教材研究の大切さを、あらためて胸に刻みたいと思います。