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仙台大学通信教育指導室メールマガジン 第83号

2024.10.24 THU

通信教育指導室から、こんにちは。
「一度もほめられなかった母親」-これは『人を育てる(有田和正追悼文集)』の中で出会った一文です。
「褒める」ことの切実なまでの大切さ、人の人生に多大な影響を及ぼす教師が負う責任の重さ、そしてある意味での罪深さを、心の深いところで受け止めざるを得なかった一文です。


一度もほめられなかった母親

ある学校のPTAに講演を頼まれて、話をさせてもらった。
終わったとたん、挙手している母親がいた。「質問ですか。どうぞ」と言うと、次のように言った。

私は、小学校に入学してから、一度もほめられたことがありません。
幼稚園ではよくほめられていたのに、学校に入ったら全くほめられなかったのです。
先生が、この学校のこと、子どものこと、先生方のことをきっちりほめてくださったのに、聞いていてくやしくて涙が出ました。
うちの子どもは結構ほめてもらっているのに、私はどうしてほめられなかったのでしょうか。

これに対して、私は次のように話をした。

私の常識ではとうてい考えられないことです。子どもはほめて育てるのが一番よく成長しますから。もちろん、ときには叱らなくてはなりません。叱ることで、ほめる効果が出るのです。
ところで、あなたがほめられなかったのは、何かあって、担任が悪い思い込みをしたのではないかと考えられます。そのことが次の担任にも伝えられて、ほめる内容を見えなくしたのでしょう。そうとしか考えられません。
では、こんなときはどうしたらよいでしょう。私も長い間ほめられない学校に勤めていましたので、あなたの気持ちがよくわかります。
私は、『自分で、自分をほめる』ということを身につけて、自分を成長させました。あなたも、大勢の前で、今のようなことを言えるということは、すばらしいことです。その勇気を私はほめたいと思います。あなたも、どうぞ、『自分で、ここまでほめられなくても頑張ってきたのだ』と自分をほめてください。
それから、ご自分のお子さんを、うんとほめてください。お子さん、明るく成長しますよ。間違いなく。

齋藤喜博というえらい先生が、本に書いていました。

『ある死刑囚は、生涯一度もほめられたことがなかった。それで社会をにくみ、死刑になるようなことをしたのだ。ほめることは大事だ』

といったことを書いているのを思い出しました。

ほめるということは、ほめられた人も気持ちがいいが、ほめた人も気分がよくなるのです。どうぞ、今までの分をとりもどすつもりで、たくさんほめ、自分もほめて、楽しい人生をおくってください。
ちょっと長くなりましたが、このへんで終わりにします。

くだんの保護者は、涙を流して聞いていた。私も似たような経験をもっていたので、つい長々と話してしまった。会場は、シーンとしていたが、終わったとたん、ものすごい拍手をいただいた。他にも似たような体験をした人がいたのかもしれない。
忘れられない講演であった。


人を見る目を変える

「先入観をもって見る」ことは、よくないと書いた。しかし、「どの子にも、どの先生にも、必ずいいところがある」という先入観をもって人を見ることで、人を見る目を変えることができる。

ある子どもが、偶然、友だちのよいところを見つけて、私に知らせてきた。よほど知らせたかったのであろう。私は、驚きながらも「えらいね。Aさんのいいところを見つけて、先生に知らせてくれるなんて。すごいことだよ。君を見直したよ。他人のいいところなんて知らせたくないのにね」と、この子をほめた。

このことをクラスみんなの前で話した。そして、「このクラスはとてもいいクラスだよ。友だちのいいところを見つけて、先生に知らせるなんて。日本一のクラスだよ。先生はうれしくてたまりません。だから、クラスみんなをほめます」と言って、パチパチと拍手をした。

これが契機となって、子どもたちの「告げ口」の内容が一変した。それとともに私の目も変わってきた。子どもに教えられたのである。子どもに教育されたのだ。

子どもを見るとき、「何かいいところはないか」「今までにない、新しいいいところはないか」という目で見るようになった。自分のクラスだけでなく、隣近所のクラスの子どものいいところを見つけては、担任に、「B君、見かけによらずやさしいね。女の子に手を貸していたよ。いい子が育っているね。先生の指導の賜物でしょう」などと話した。その先生も喜んでくれ、「先生は、いつも子どものいいところばかりを見ているのですね。まねしなくては」と言った。

このことは、徐々に子どもたちにも広がり、教師の間にも広がっていった。保護者にも広がっていった。

私が出張のとき、H君が運動場でけがをしたという。このとき、クラスの子どもたちがH君をかついて保健室へ連れていったという。大したケガではなかったのに、家に帰ったら「大丈夫ですか」という電話も何本かきたと。

母親は、子どもたちのやさしさに感動して、「先生の出張中にこんなことがありました。どうか子どもたちにお礼を言って、ほめてほしい」という手紙を子どもに持たせてきた。

子どもたちは何も言わなかったので、手紙がこなければわからないままであった。私は、H君の母親の手紙をみんなに読んであげ、大いにほめた。

「でもね、先生にも知らせてほしかったなあ」と言ったら、「当然のことをしたのに、なぜ先生に言わなきゃいけないの」と言うのである。「クラスで起こったことは、担任として一応知っておきたいからね」と言ったら、「わかりました」と言って、みんなで大笑いし、拍手して一件落着した。

このことはクラスの母親がみんな知ることとなり、保護者の子どもを見る目が変わってきた。人を育てるとはこんなことでもあるのだ。


『人を育てる(有田和正追悼文集)』(小学館 2014)p.055

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