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仙台大学通信教育指導室メールマガジン 第82号

2024.10.17 THU

通信教育指導室から、こんにちは。
金森学級の「手紙ノート」の続きです。
連と光扶由を軸としたこの日の「手紙ノート」は、地道な取組の積み重ねが実を結んだ珠玉の実践です。
「ローマは一日にして成らず」という諺の重みを感じます。


おばあちゃんの死

21日の日曜日、剣道の帰りにお兄ちゃんが迎えにきた。おにぎりを持ってきて「それ食べろ」と言った。ぼくはなんでかなーと思った。
「どこ行くの?」と聞いたら「おばあちゃんのうちだよ」と言った。
行ってみるとおばあちゃんがひどそうだった。ぼくはあんなに元気だったのにどうしたんだろうと思った。
ぼくは別の部屋で甥っ子のおもりをしていた。よばれて2階に行ったらおばあちゃんは亡くなっていた。おばあちゃんは眠るように亡くなっていた。おばちゃんたちと母さんでおばあちゃんにきれいな着物をきせてあげた。
24日は告別式だった。お別れに花をいっぱい入れてあげた。ぼくは涙がボロボロと出た。みんなも泣いていた。バスで火葬場へ行った。1時間くらいでおばあちゃんは骨になっていた。それをつぼの中におはしではさんでいれた。とてもあったかかったです。それは49日目にお墓に入れてあげる。それまではじいちゃんの部屋に置いておく。
おばあちゃんがいなくなってさびしいです。

( 連 )

大学ノートに1ページ半。ぎっしりと書き込まれた手紙ノートだった。

「感想はありませんか?」
いつもは5,6人だが、この日はクラスのほとんどが手を挙げた。
私はまずこの光景に驚いた。いくら口では「手紙ノートが大切」と言っていても、手紙ノートの時間が毎回盛り上がるわけではない。「どこそこに行って楽しかったです」「それはよかったですね」。このようなたわいのないやりとりも多い。金森先生が「いくら何を書いてもいいと言っても、それが今クラスみんなに伝えるべきことなのか」と思わず口をはさんでしまうこともたびたびだ。しかし、そのような時間があってこそ、「宝物」のような素晴らしい時間も生まれてくるのである。
子どもというのは、天性の「手抜き」をするものだ。自分で必然性を感じなければ、いくらまわりがやれと言ってもまったく動かない。ところが、いったん自分たちが「これは面白い」とか「今は大切だ」と感じるや、抜群の瞬発力と集中力を発揮する。
そんな瞬間は、大人の思惑でなかなか作れるものではない。手紙ノートという「手段」を与え、その「時間」を毎日の授業をやりくりしながら必死に確保し、ダメなものにはダメだと言い続けながら、待つしかないのである。

この日、連が長い手紙ノートを読んでいる間、教室の空気が徐々に変わっていった。
手紙ノートを読み終えた連は最初に大樹を指名した。
「ぼくもおばあちゃんを……」
泣いて言葉が続かない。何人かが声をかける。
「無理せんでええよ」
「大樹もこの間、おばあちゃん亡くしたとこやからな」
祐人がみんなの気持ちを代弁するかのように話しはじめた。
「ぼくもおばあちゃんが全ガンで、全体がガンになるので死んで、ぼくはそのときにお母さんに『どうしたの?』と泣きながら聞いていて、今そのときのことを思い出したので、連さんの気持ちはよくわかります」
続いて礼奈。
「私の誕生日の前の夜におじいちゃんが寝ながら亡くなってしまって、私はおじいちゃんの顔を見れずに……」
彼女もまた涙で言葉にならない。

命のバトンを渡してくれたおばあちゃんの死。連がその悲しみを書いてきた。言われたわけではないのに書いてきた。何かを伝えたかったし、受け止めてほしかったのだろう。どうすればそんな気持ちに応えることができるか?みんなが考えたに違いない。そして半ば本能的に選んだのは、自分の悲しみを語ることだった。安易ななぐさめの言葉を誰一人言わなかった彼らのことを、私は今でもスゴイと思っている。
チャイムが鳴って給食の時間になっても、みんなが次々と語っていく。


光扶由の勇気

ちょうど10人目。気持ちがひとつになった教室で光扶由が語りはじめる。
「私は3歳のときにお父さんが亡くなって、『命の危機』の授業のときも書きたかったんだけど、書こうと思ったんだけど、書けないくらい悲しくて……」
お父さんがいないことを教室で光芙由が話すのは初めてだ。
「えっ」
何人かが驚いたように光芙由を見つめる。クラスの空気がまた濃くなった。

涙をこらえながら光芙由は話し続ける。
「3歳だったけど、死んだとかそういうことはわかっていて、涙が止まらないくらいだったので、私はすごく悲しかったです」
金森先生は思わず光芙由を抱きしめていた。堰を切ったように光芙由が泣き出す。

「亡くなるということは大変なことだね。この体が燃やされる。間違いなく骨になってしまう。こんなにつらいことはないね。
この学級で一番つらい経験をもっているのは、ぼくは光芙由だと思う。おばあちゃんやおじいちゃんじゃない。今みんなはどこか連れていってもらったというときに、平気でお父さんという言葉が出てくる。
いつも心にしまっておくとつらい。な、光芙由。だから一度は光扶由がお父さんのことをみんなの前で言ったほうが気が楽になるだろうなと思っていたけども、今日そのことをしっかりと言ってくれたのは、先生、とても嬉しかった。連ちゃんの便りも光芙由の心を開いてくれたわけだ。手紙ノートでな。
連ちゃん、おばあちゃんのどんな顔を覚えている?」
「笑っているところ」
「そうか。その顔をしっかり心に残しといてや。命のリレーを3年のときから勉強してきました。みんな、命はしっかりと大事にしてや」

給食の準備が始まっても涙が止まらない光扶由に、1人の女の子が黙って寄り添っている。別の子がさりげなく光芙由の給食を準備した。
「いただきます」
いつもより静かな、でもあたたかい給食の風景だった。


『4年1組命の授業 金森学級の35人』NHK「こども」プロジェクト(NHK出版2003)p.026 一部編集

本の帯には ≪ 泣いて笑ってやさしくなった10歳の少年少女たち ≫ の文字。
学級の中での様々な出来事を通して、友だちを、そして、自分自身を理解し、子どもたちはやさしくなっていきました。

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