仙台大学通信教育指導室メールマガジン 第52号
2024.03.07 THU
通信教育指導室から、こんにちは。
前回に引き続き、国語名人の野口芳宏先生の著作から紹介します。
今回は、『教師の心に響く55の名言』の中から、「からの努力」と「古人の求めたる所を求めよ」の二つです。
肝に銘じたい名言です。
進みつつある教師のみ人を教える権利あり
大学を出て公立の小学校に赴任して1ヶ月あまり、まだ右も左もわからぬ夢中の時期に、教職員組合の集会が開かれた。
昭和30年代の初めは、組合員になるのは当然のことで、全員が加入していた。
「よき組合員はよき教育者である」という合言葉が共有されていたころのことである。
400人近くが集まる集会に、来賓として教育委員会からも、PTA連絡協議会からも臨席するというのどかな時代であった。
当時の市PTA連絡協議会会長であった鈴木荘三先生が来賓として祝辞を述べられた中に、この言葉があった。
進みつつある教師のみ人を教える権利あり (フリードリッヒ・ディースターヴェーク) |
先生は朗々とこの名言を二度唱されてその本義を語られた。
「人を教え導くことに慣れると、ついつい自分の学びを怠りがちである。
人を導く者は、導かれる子ども以上に学び続けてこそ初めて人の師となれる。
日々己れ自身が進みつつあることによってのみ、その人は教師たり得るのだ。
せっかくの精進を心から期待している」
駆け出しの若造であった私は、この名言に大きく心を揺さぶられた。
本当にその通りだと思った。
何度もこの言葉を反芻した。
以来、私の脳裏に何十回、何百回とこの名言は押し寄せては退き、退いては寄せた。
「までの努力」と「からの努力」
教師になりたいという願いを持つ者は、大学に進み、学び、免許を取り、その上で採用試験に挑む。
教師になるという純粋な願望が努力を駆り立てる。
努力が実って教壇に立ち、子どもに授業をするようになる。
憧れの担任として学級も受け持つようになる。
ここまでの精進、努力を私は「までの努力」と呼んでいる。
「までの努力」は夢を持つ誰もがする。
肝心なのは、憧れの舞台に立って「からの努力」である。
「までの努力」の期間よりも、「からの努力」の期間の方がずっと長い。
そして本当の楽しみは「からの努力」によってこそもたらされる。
「進みつつある教師」とはそういう意味である。
だが、往々にして人は望みを達すると緩みがちである。
「までの努力」に専念した者も、教師になって「からの努力」は忘れがちである。
初心を忘れ、現状に安住して過ごすようになると、教師人生の楽しみは半減する。
ディースターヴェークは、そのような教師には「教える権利はない」と言うのだ。
「進みつつある教師のみ人を教える権利あり」とは、痛烈で手厳しいが、教師の本質を見事に喝破している。
古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ
教師は優れた実践に出合ったとき、「追試」をすることが多い。
追試という言葉の本来の意味は他人が行った実験を、同じようなやり方でもう一回試すことを意味する。
この言葉を最初に教育現場に取り入れたのは「教育技術法則化運動」の代表を務める向山洋一先生である。
かつての教育界には「人の授業を真似するのはよくない」という風潮があった。
しかし、向山先生は「良いことはまずはそのままやってみることだ」と主張し、それが多くの教師たちに支持されて全国に広まったのである。
授業の意図を考究する
確かに追試をすることには意味がある。
しかし、追試だけで満足してはいけない。
そっくり真似をすることに留まらず、その授業が何をめざして生まれたのかを考究することが、重要なのである。
真似するだけではいくら追試をしても力がつかない。
私はこれを「追試の限界」と呼んでいる。
一つひとつの発問や活動の背景について掘り下げて考え、どのような意図でそれらが行われたのかを知ることこそが肝要なのである。
それができればさまざまな授業で応用できるようになる。
それらの方法の原理を知ることになるからである。
守 破 離
「守破離」という言葉がある。
芸道修業の根幹とされる言葉である。
「守」は、私心をもたず、ひたすら師匠の教えを守ることを意味する。
これが型である。
型を徹底的に学んだなら、「破」へ進む。
「破」で十分に身につけた基礎に新しい自分の発見をプラスする。
そして、「離」は身につけてきた技を完全に自分のものにして、さらに独創・独自の道を拓いていくのである。
今の日本の子どもの教育はこの「守」を軽視して、幼い時期から個性を重視している。
最初から「離」をめざしているようにも私には見える。
つまり、基本の型がなくなっているのだ。
だが、小中学校は本来基礎を学ぶべき時期である。
本来は「守」こそが重視されるべきではないか。
野口先生の教えのとおり、「までの努力」よりも「からの努力」の方が何倍も尊く、子どもと一緒に成長し喜びを分かち合える分、何倍も楽しいものです。
だからこそ、今は「までの努力」に全力投球し、自力で教職の道を切り拓いて欲しいと願っています。