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仙台大学通信教育指導室メールマガジン 第51号

2024.02.29 THU

通信教育指導室から、こんにちは。
今回は、国語の「授業名人」と称され、「模擬授業」の名付け親としても有名な野口芳宏先生の著作『利他の教育実践哲学』の一節を紹介します。
中高の教員を目指していた野口先生が、小学校の教員となって苦労したことや書道との出会いなどを、飾らない言葉で綴っています。


私の書き方修行

私は中学校の国語の教師を目指していました。
音楽も体育も、図工、書道も、つまり、技能教科は全部駄目なんです。
当然、小学校の先生にはなれないと思っていました。
ところが就職難で、どうしても小学校の免許を取らないと就職は無理だろうということでした。

それで、やっと小学校の教師になりました。
私は、中学校の教師になるつもりでしたから、文字のうまさというものは問題にしていませんでした。
上手、下手なんていうことは、国語の学力と直接は関係ないからです。
美しいなんていうのは芸術科の問題ですから。

ところが、小学校の教師はこれでは駄目です。
参ったのが書写の時間です。5年生には、毛筆書写があります。子どもはこれが大好きです。

すぐ書いて、ずらっと私の前に並ぶんです。
見るだけならいいのですが、朱墨で書き方を直すのが大変です。

「ここをもう少しぐうっとそらせて書くといいね」とか、言いながらね。
ところが、乾いてからよく見ると、子どもの方がうまいんですよ。
仕方なく、朱墨のところにバツをつけて、「おまえの方がうまいよ」って言っていました。

そうやって、習字の時間が来るたびに頭を抱えていました。
これから38年間も教えなくてはならないと思うと、だんだん字を書くのがいやになりました。
文字に劣等感を感じ始めると、黒板に字を書くのも億劫になります。
なるべく字を書かない授業を工夫していきます。
どうしても書かなければならない字は書くけれど、原則として書かない、というようになりました。


齋藤翠谷先生との出合い

そうしているうちに、夏休みが終わりました。
夏休みの自由作品で学級の齋藤範子さんという児童が、「馬が走る」という習字を書いてきたんです。
「すごい字だねえ。範ちゃん」
私はため息をつきながら誉めました。
高原を若馬がたてがみをなびかせながら、サーッと走っているイメージが「馬が走る」の四文字から感じられるんです。

生まれて11年の少女が書いた文字が、大学を卒業した私の心を打ちました。
打つはずです。彼女のお父さんは高校の書道の先生なんです。
私はえらい子どもを受け持っていたもんです。

その子にこう言いました。
「野口先生みたいに、字の下手な人でも習ったら少しはうまくなれるものか、お父さんに聞いてみてくれないかな」
範子さんが翌日私のところに来て、
「先生、聞いてきました」
「何ておっしゃった?」
「先生、下手な人ほどうまくなる、って」
「そうかい。先生がそう言ってくださるのなら、少し書道を教えてもらいたいと思うんだけれども、教えていただけるかどうか、もう一度聞いてみてくれないかな」

こうして、私は5年間、斎藤翠谷先生のもとで、毎週金曜日2時間ずつ毛筆習字を習うことになりました。


俺だってできると思わせる

先生は、手本を朱墨では書かれません。
先生は正座をされ、目の前で墨をすって、私の手本を書かれるわけです。
つまり、先生の分身としての一つひとつの作品が、私の手本になるんです。
先生のお手本は、今でも全部とってあります。

手本を書くときの先生は、真剣な眼差しで古法帖に目をやりながら、すらすらっと書かれるんですね。
ちっとも苦労なんかないように、すらすらっと。それが、いざ私が書くとなると四苦八苦です。
「力の違いというのは、こういうことでしょうか」
私が申し上げました。
すると先生は、
「野口さん、あのね、師匠というのは、弟子に『なんだ、あのくらい俺だってできる』、そう思わせるのがこつなんだよ。
弟子が見ていてね、『やめたやめた。とても俺にはできない』と、思わせたら、弟子の学習意欲はなくなる」
と、こう言われるんです。
「やれそうだからやってみようか。さてやってみると、なかなかできない、というところに師の深さがある」とね。
参りましたねえ。
そういう、ふと呟かれる先生の一言一言の中から私はいろいろなことを教えていただきました。


百発百中の技術

私のような下手な者でも、ずっと続けて字を書いていますとね、たまに、自分でもびっくりするような線が、ぽっと生まれることがあるんです。
そうすると先生がね、小さな丸をくるくる、くるくる、いっぱい書いてくださって、
「いい線ができたなあ、野口さん。やあ、いい線だ」
褒めてくれるんです。
大人になってもね、褒められるというのは嬉しいですよ。
何しろめったに褒められないんですから。

「ありがとうございます。先生のご指導のお陰です」
私が頭を深く下げると、まだ、頭を私が上げないうちにね、

「だけどね、野口さん、こういう線が、書くたびに書けなきゃいけない。
たまに書けるというのでは、それは、もののはずみ、というものだよ。
技術というものは、百発百中でないと駄目なんだ。
100回書けば100回こういう線が書けるようにならないと技術とはいえない」
と、こう言われたんですね。
私はにこにこしていましたが、顔は引きつっていましたよ。
100回盲腸の手術をして1回ぐらいがうまくいくなんていうお医者さんのところに患者は行かないものね(笑)。
「百発百中にして初めて技術と言う。技術の厳しさとはこういうものだよ」
とおっしゃるのです。
忘れませんねえ。あの教訓は。



『利他の教育実践哲学』野口芳宏著(小学館2010)p.156 一部編集

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