仙台大学通信教育指導室メールマガジン 第43号
2023.12.21 THU
通信教育指導室から、こんにちは。
今年1年、メルマガをご愛読いただき、ありがとうございました。
1年のしめくくりに、「母からもらった赤いマント」という、船越準蔵少年と母親をめぐるもう一つのエピソードを紹介します。
よいお年を!
継ぎはぎだらけのマント
雪が舞い始める季節になるときまって思い出すことがあります。
私が小学生のころは、冬になると子供たちはみんな、マントを頭からスッポリかぶって学校へ行ったものでした。真っ白い雪がふわりふわりと落ちてくる日も、激しい吹雪の日も、男子はみんな黒いマントを、女子は赤や緑色のマントを着て、前の人の足跡を見ながら一列になって転ばないように気をつけながら歩いていくのです。
小学4年の冬、古くなりボロボロになった黒いマントを兄から譲られました。私は継ぎはぎだらけそのマントを、チョッピリ大人になったような誇らしい気持ちで着て通学しました。しかし、長年兄たちを守ってきた栄光のマントも袖を通すたびにビリビリ破れる有様で、引退の時期を迎えていました。
母は、手の施しようのなくなったマントを手にとり、思案にくれていました。そんな母の姿に私は、もしかしたら父と相談して、新しいマントを買ってきてくれるかも知れないなどと、淡い期待を抱きました。
もう少しの我慢だと思って、傷だらけのマントを風に靡かせて家に帰った私に、母はいつにない厳しい表情で言い渡しました。
「明日から、これを着て行け!」
差し出したのは姉の赤いマントです。
人と同じでなくてもいい
姉は私より7つも年上ですから、とっくに小学校を卒業して、裁縫を習いに町の先生の所に通っていました。村でも評判の模範生だった姉のマントは、何年も着たはずなのに破れも汚れもありません。それを私に着せようなんて、いくらなんでもあんまりです。私は勇気を出して「いやだ」と言いました。私はこれまでにないほど激しく母に反抗しました。
「学校中の男子で、赤いマントなど一人もいない。兄も弟も黒いマントなのに、どうして自分だけ」と口答えしました。しかし、その都度、「ほかの人と同じでなくてもいい」「マントは暖かければいい」とはねつけられました。
こうなれば実力行使です。雪の激しく降る朝に、何もかぶらずに駆け出して行ったこともあります。しかし、秋田の山村の吹雪は物凄いのです。身を切るような寒気と、吹き飛ばされそうな烈風の日々を、とてもマントなしで過ごせるものではありません。私はとうとう母の軍門に降り、仕方なく赤いマントを着ることにしました。

その最初の日、母は私にマントを着せてから丁寧に塵を払い、「さあ、元気を出して行け」と送り出してくれました。
母もできれば私に、ほかの人と同じ黒いマントを着せたかったに違いありません。しかし、そうしたくてもできない事情があったのでしょう。しかし、幼い私は、その事情にまでは思いが至らなかったのです。
案の定、上級生にはもちろん、同級生にも、女の子にも、下級生にまでも笑われました。廊下の雨具掛けにズラリと並んだ黒いマントに混じって一つだけ、赤いマントが目立ちました。みんなから「赤マント」「赤マント」とからかわれ、それがあだ名にもなりました。
そのたびに私は、「ほかの人と同じでなくてもいい」「マントは暖かければいい」という母の言葉を思い出して、じっと我慢しました。こうして私は、4年生、5年生の冬を赤いマントを着て通学したのです。
鬼気迫る母の姿、そして思い
6年生になった年の始業式の日、私は思いがけず副級長に任命されました。そしてなぜか、今年の冬こそは黒いマントが着られるだろうという期待を抱いたのです。しかし、冬が近くなっても、黒いマントの話はどこからも出てきません。
そして、12月最初の日曜日がやってきました。母は朝から土間に下りて、しきりに忙しそうにしています。その背からは明らかに「何かある」という気配が感じられます。果たせるかな、しばらくして母は私を呼びました。手には赤いマントを持っています。そして、おごそかに宣言しました。
「このマントを、黒いマントに染め直す!」
呆然とする私に目もくれず、母は仕事に取りかかりました。土間にかけた大きな鍋に湯を沸かし、染め粉を入れて染めようというのです。火埃りの中で母が、太い大きな棒のような箸を持ってマントを鍋にひたし、手を真っ黒にして、マントを引っ繰り返し、引っ繰り返しするのを、息を詰めるようにして見ていました。布地が厚いため、簡単には染まりません。それを引き上げては掻き回し、母は一生懸命に染めています。
マントは茶色と黒のまだらのマントになりました。とても人前に来て歩けるしろものではありません。それでも私は、そのマントを着て元気に通学することにしました。
母の目は真っ赤でした。それは焚き火の煙のせいだったかも知れません。
そんな母の姿を見て、6年生の私は、母がどんな思いでマントを染め直そうとしたのか、初めて気づきました。口では強いことを言いながら、母は2年間赤いマントを着て通学した私に、黒いマントを新調できないまでも、せめて黒く染めてやろうと必死だったのです。それまでは自分の都合ばかりを考えて、親のつらい気持ちなど、考えたことのない私でしたが、私に赤いマントを着せた母の方が、私の何倍も辛かったに違いないと、思い当たったのです。
私は今でも心の中に赤いマントを着ています。「ほかの人と同じでなくてもいい!」と母からもらったそのマントは、とても温かくて、私はいつでも幸せになれるのです。