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仙台大学通信教育指導室メールマガジン 第22号

2023.07.06 THU

通信教育指導室から、こんにちは。
前回に引き続き、大村はま先生のエピソードを紹介します。
大村はま先生と言えば「単元学習」が有名ですが、「単元学習」の誕生までにさまざまな試行錯誤や葛藤があったことが分かります。「もっと学びたい」「分かりたい」と願う子どもたちの姿が、目に浮かぶようです。


教師の禁句 「静かにしなさい!」

こんなせりふがあります。子どもが話を聞いていないと,「ちゃんと聞きなさい!」という。専門職ならば、このせりふはご法度にしたらいいのではないかと思います。
私がそう思うのは、これからお話する経験があるからです。そのことがあるまでは、私も「静かにしなさい」とか「ちゃんと聞きなさい」ぐらいのことは言いました。
私は,昭和22年に新制中学が創設されたときに,生みの苦しみを味わった一人です。戦争責任にいたたまれないような気持ちで飛びこんだ中学校ですから,どんな苦しみがあってもかまわないと思っていました。
ですから学校選びなどということはしませんでした。私は最初に声をかけてくださった校長先生の学校へ行くことにしました。

ご存じのとおり終戦直後でしたから,一面の焼野原で,朝学校に行くにも,秋葉原の駅で教頭先生をお待ちして,いっしょに通勤していました。
見渡す限りの焼野原,ところどころに,防空壕があります。まだ人が住んでいる壕もありましたから,足元がパッと開いて人が出てくる。どこから人が出てくるかわからないのです。そこを通ってゆくと,焼け残った鉄筋コンクリートの工業学校があります。その一部を借りて,私の勤める深川第一中学校は出発しました。
あの頃,雨の中、傘をさして授業したり,焼け残った大きな算盤に子どもが腰掛けて勉強したりしているところなどが新聞に出ました。私の教室の光景を撮った写真でした。
床があるわけでも,ガラス戸があるわけでもなし,本があるわけでも,ノートがあるわけでもなし,紙も鉛筆もなし,そういうところへ赴任したわけです。1年生は4クラス(1クラス50人)でしたが,「教室がないから2クラス一緒に100人教えてくれ」と,こういうわけです。
その100人の子どもは中学校の開校まで3月から一か月以上野放しになっていた子どもたちです。ウワンウワンと騒いでいて,どうしようもこうしようもありません。いままであんなに途方にくれたことはありませんでした。
しばらくは教室の隅に立ちつくしていました。「静かに!」と言おうと何と言おうと,どうなるものでもありません。
その時間,私はそばの子どもにだけいろいろな話をしながら,ワァワァ騒いでいる中を,少しずつ動いて何か少し教えたりして,なんとか授業のかっこうをつけていました。とても一斉授業なんてできませんから。


崖っぷちからの再出発

すっかり意気消沈した私は,国語の大家の西尾実先生のお宅に伺って,実情を訴えました。ところが,西尾先生は高笑いなさって,「なかなかいいかっこうじゃないか。経験20年のベテランが,教室で立ち往生なんて……」とおっしゃり,「そういう時にこそ人間というものはほんものになるもんだよ」ととりあってくださいません。実は「こんなふうでとても授業ができない」と先生にお話しすれば,高校※1へ戻るように心配してくださるのではないかと期待していたのです。
※1 大村は昭和3年から昭和21年まで19年間、高校で教鞭をとっていた。
しかし先生にそんな雰囲気は微塵もありません。私は何とごあいさつして帰ったか覚えていません。たぶん何も申し上げず,お辞儀をして玄関を出たのでしょう。頼りにしていた先生にそう言われれば仕方がなく,そしてもともと捨て身の覚悟で新制中学校に出たんだからと、思い直しました。

その夜私は,疎開の荷物の中からありとあらゆる新聞や雑誌を引っぱり出し,無我夢中で教材をつくりました。それぞれに違った問題をつけて,100種類の教材をつくったのです。
翌日それを持って教室へ行きました。そして,子どもを一人ずつつかまえては,「これはこうやるのよ」「こっちはこんなふうにしてごらん」と,一人ずつわたしていったのです。


子どもはいつでも伸びたいもの

すると,どうでしょう。紙切れをもらった子どもから,食いつくように勉強し始めたのです。私はほんとうに驚いてしまいました。そして,彼等が「いかに伸びたかったか」「いかに何かを求めていたか」,私はそれに打たれ,心の底から感動したのです。
そして子どもというものは,「与えられた教材が自分に合っていて,やることがわかれば,こんな姿になるんだ」ということがわかりました。それがない時には、子どもは「犬ころ」みたいになることも。

私は,みんながしいーんとして、床の上にうずくまったり,窓枠の所へよりかかったり,壁の所へへばりついて書いたり,いろんな格好で勉強をしているのを見ながら,隣の部屋へ行って思いっきり泣きました。そして,人間の尊さ,求める心の尊さを思い,それを生かすことができないのは全く教師の力の不足にすぎないのだ,ということを身に染みて理解しました。
私はそれ以後いかなる場合にも,子どもを責める気持ちにはなれなくなりました。教師に何か足りないところがあるのではないか。計画がまずいのかも知れない。何か自分自身の方に原因があるとしか考えられません。子どもの方は常によきものを求めてやまないものなのだ,それが「少年」なんだということも,私はその体験からはっきりとわかりました。


『新編 教えるということ』大村はま著(ちくま学芸文庫 1996)p.072 一部編集

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