仙台大学通信教育指導室メールマガジン 第21号
2023.06.29 THU
通信教育指導室から、こんにちは。
皆さんは、大村はま先生(1906-2005)を知っていますか。
1928年に東京女子大学を卒業後、長野と東京の高校で勤務。1947年に新制中学校に自ら志願して赴任。以来、1980年に73歳で公立中学校を辞するまで、実に51年の長きにわたり生涯一国語教師を貫きました。
大村先生の著作から、「ほめる」ということについて紹介します。
まず,ほめる種をまくことから
子どもはほめることが大切だ,それは常識的なことで,知らない教師というのはないでしょう。
それはそうなんですが,ただいいことがあったら,いいものが書けたら,ほめようということだけではなくて,いつもほめる種をまいていかないといけないと思います。指導の中で何かほめることのできることがあるように……その気配りがないと,なかなか人を伸ばすというほど,ほめる種がなかったりします。また,出来上がったものだけをほめていきますと,生徒みなに万遍なくということには,なかなかなりません。

ただほめればいいと言ってほめていますと,大きい子どもですと,それに値しないことをほめられた時に喜ぶかどうか。むしろいたわられているような辛い気持になるかもしれません。実際,そうなることが多いようです。ほめられることはうれしいけれども,確かにほめられる価値があると本人が思っていることをほめられないと,ほんとうの励みにもならないようです。
ほめるのを忘れるということはあまりないでしょう。いいものができたり,いいことを言ったりすれば,教師であれは,ほめるということはだいたいおちなくできると思います。しかし,教師としては,ほめる種を一生懸命作らなければいけない。ほめることの大切さを,ほめる種をまくことの大切さと並べて心に留めておく……いえ,種をまくことのほうを重く考えたいと思います。
授業、掃除当番、給食当番、係活動、委員会活動、運動会、学習発表会など、ほめる種をまく場面はたくさんあります。「ほめる種をまく」……心がけたいですね。
「ほめる」ことの意義について、社会科の授業名人として有名な有田和正先生も次のように書いています。
たった9字のほめ言葉が大画伯を生んだ
平成24年11月20日の朝日新聞を見て驚いた。
天声人語に、「たった2行のほめ言葉が、無名だった画家をはげまして、押しも押されぬ存在に導いた」と書いてあった。
平山郁夫氏が20代の終わりごろ、体調が悪いのに、日本美術展に出品するため、必死で「仏教伝来」を描いた。

平山郁夫 『仏教伝来』 1959年
しばらくして、有名な美術評論家の河北倫明氏の論評が出た。論評記事の末尾に、平山郁夫氏の「仏教伝来」について、『おもしろい味がある』と、9字のほめ言葉が書かれていた。
これを見た平山氏は歓喜した。そして、この言葉をはげみにして描き続けたという。「ボクシングでいえば、ダウン寸前に救われた」と書いている。
ほめること、特に有名な評論家などが論評することは「人を育てる」ことも、「人を殺す」こともあるのだと思った。
天声人語氏は、「この2行がなければ、後の輝かしい画業はなかったかもしれない」と書いている。
ほめることの大切さを今更ながら考えさせられた。
美術評論家の河北倫明氏のたった9字の「おもしろい味がある」の評論がなければ、「平山郁夫」という巨匠は誕生しなかったかもしれません。
このように、教師や指導的な立場にある人の一言が、一人の人生を大きく左右することがあります。私たちの発する一言一言の重さを意識しながら、むしろ「ほめる種をまく」ことのほうに重きを置きながら、学級づくりや授業づくりに当たりたいものです。
学級担任は演出家であれ
【段取り1】
教室掃除の班長に「ほうきにたまったゴミも掃除すると気持ちいいよ」と、昼休みにそっと耳打ちしておきます。
【段取り2】
ほうきをブラシできれいにしている子どもたちをほめながら、学級委員に、「掃除用具まできれいにしているよ。帰りの会でほめてあげて」と、耳打ちします。
【段取り3】
帰りの会に、友だち同士でほめ合う場面を演出し、「お互いの頑張りを認めることのできるクラスってすごいね」と称えます。
このような動きは、学級担任が「ほめる種をまく」ことによって生まれ、学級はさらに一段成長していくのです。